


父は大学に勤務するサラリーマン、母は上目黒で美容院をオープンする。
高度成長期の多忙な親に遊んでもらった記憶は薄い。
当時は美容院の従業員が住み込みの時代で、大勢の家族に囲まれた子供時代を過ごす。
昭和女子大学付属昭和小学校に入学が決まっていたが「知っている友達がいない学校へ行くのはイヤ」と幼稚園中、近所中に言って回り、親は諦めて近所の区立東山小学校へ入学させる。
昭和女子大の制服・ランドセルを揃えていたので昭和女子大の制服とランドセルで通学する。
(慶應幼稚舎の試験を受けたが不合格)
中学2年から高校受験準備に突入。
母は角が出てくる勢いの「教育ママごん」と化す。
塾と家庭教師の暗い時代でした。
慶應に入学すると母は勉強の「べ」の字も言わなくなる。
とても自由な校風で好きな事にだけ専念しました。
一番学んだのは福沢諭吉先生の「独立自尊」。
自分の道を模索し始めました。
慶應の学生と距離をおき慶應外の友達作りに専念する。
通信教育で美容師国家免許取得。
大学3年の夏にフランス・カンヌへ短期留学をする。
「世界は広く、人生は楽しい!」を実感する。
現在はさくらの女王のOG会「さくらアソシエ」でさくら文化の普及活動をお手伝い。
日本は2年に1回「さくらの女王選出大会」が開催されるが、アメリカ・ドイツは年に1回開催される。
アメリカとドイツの女王はさくらの季節に日本を訪れ、アメリカの女王の首相訪問は毎年、テレビ放映される。
まつげパーマを開発した会社を辞め、当時、流行始めたネイル技術取得のため学校へ通う。
代官山のマンションの一室で友人と共に日本で始めてのネイル&まつげパーマサロンを主宰
仕事へ疲れていた時にヨーロッパで3ヶ月の仕事をもらい、代官山のサロンを離れる。
その3ヶ月の報酬で2ヶ月ヨーロッパを一人旅行する。
以前から度胸はあったが一人旅行で一層磨きがかかる。
帰国後、画商と画家の知人数人から「画商に向いている」と薦められ「ふろしき画商(昔は画商はふろしきに絵を抱えて売り歩き下積みをした)」を志す。
「ふろしき画商」はバブル経済の恩恵を受ける。
世界マーケットには通用しない現代日本絵画が高額で日本国内で流通していることに疑問を抱く。
世界に類の無い日本美術の美を世界マーケットへ流通させるには、日本美術の基礎的な事(日本画と西洋絵画との差異を題材)から欧米に知ってもらい認知度を高めてゆく活動から始めようと企画する。
この企画に賛同し海外での講演先の紹介をしてくれ一番協力してくれたのは外国人の友人だった。
一番の思い出に残るのはワシントン・スミソニアン、アジア館での講演だ。
スミソニアンの職員、ボランティアスタッフが文化・芸術のためにイキイキと仕事をしている。
ボランティアのウエィティング・リストがありスミソニアンで仕事が出来る事を誇りとしている。
スミソニアンHP:http://www.si.edu/guides/japanese.htm
友人・野呂夫妻が経営する画廊。若い夫妻が日本の画商界を変革することを期待している。
「伊東郁三郎展」を共に企画をする。
柳画廊HP:http://www.yanagi.com
ウエディング業界第1位の会社が97年に店頭公開したことから業界へ興味を持ち、親友夫妻が経営する輸入ウエディングドレス、海外ウエディングを販売する会社へ勤務する。
ヨーロッパを中心に海外ウエディングのマーケティングマネージャー。
会社へ勤務しながら4月から選挙準備に入る。
朝7時45分から1時間、目黒区内の駅頭演説をした後、会社へ出勤というハードなスケジュールだった。
11,647票のご支持を承り初当選する。選挙まで多くの方に支援頂いた事を心から感謝しています。
多くの方のご支援、お力添えを頂いて2,467票、第3位という好成績で目黒区議会議員二期目を迎える事ができました。私を支えてくれたスタッフ、ボランティアの皆様へ誠に感謝申し上げます。
これからも一生懸命、目黒の為にがんばりますので、皆様のご指導、ご協力をお願い致します。
勇気凛々!かもしだリエ!