• 鴨志田リエ(かもしだりえ)目黒区議会議員5期:プロフィールと経歴

    1959年(昭和34年)3月1日 血液型:A型

    目黒区上目黒生まれ現在も上目黒在住 / 父は大学職員、母は美容院経営

     

    【学歴】

    目黒区立東山小学校・東山中学校卒

    慶應女子高等学校卒、慶應義塾大学文学部仏文科卒

    山野美容専門学校通信課卒(美容師免許・管理美容師取得)

     

    【略歴】

    (財)日本さくらの会 第9代日本さくらの女王

    ネイル&まつげパーマサロン「フレンチライン」主宰

    シカゴ日米協会、ワシントン・スミソニアン、ニューヨーク日米婦人会にて

    日本美術の講演会を企画・運営

    WHITE DOOR海外ウエディングの企画・営業を経て立候補

     

    【選挙】

    2002年 目黒区議会議員補欠選挙初当選(民主党公認)

    2003年 目黒区議会議員2期目当選(民主党公認)

    2007年 目黒区議会議員3期目当選(民主党公認)

    2011年 目黒区議会議員4期目当選(民主党公認)

    2013年 東京都議会選挙立候補(みどりの風)惜敗

    2014年 根室市長選挙立候補(無所属)惜敗

    2015年 目黒区議会議員5期目当選(無所属)

     

  • 鴨志田リエ ヒストリー

     

     

    幼児期

    1959 - 1900

    左写真:大好物はお蕎麦!の幼児です。

    右写真:上野動物園にて

    七五三

    1959-1900

    左写真:家族で記念写真

    右写真:弟と

    目黒区立東山小学校入学式

    1959-1900

    昭和女子大付属小学校に進学予定で入学金を納め、制服も作りましたが、私が「知ってる友達がいない学校に行かない」と泣いて親を説得し、地元の区立小に昭和女子大の制服とランドセルで通いました。あの時、泣いていなかったら昭和女子大に進み良妻賢母で家庭を守り、政治には進まなかったでしょう。

    目黒区立東山中学校の校庭

    1959-1900

    中2から進学塾と家庭教師の日々で、私の人生で最も暗い時代でした。

    慶應女子高等学校の卒業記念家族写真

    1959-1900

    弟は慶應中等部2年生

    慶應義塾大学文学部仏文科卒業写真

    1959-1900

    矢絣と袴、髪型は母のコーディネート

    日本さくらの会

    第9代日本さくらの女王選出大会

    1959-1900

    *米国さくらの女王と鈴木善幸総理(当時)、憲政記念館にて

    *トロフィーを手渡す「日本さくらの会」会長 櫻内義雄衆議院議員(当時)

    ネイル&まつげパーマサロン

    「代官山フレンチライン」主宰

    1959-1900

    大学時代に通信教育で美容師免許を取得したことから、美容関係の会社へ就職し、まつげパーマの技術者&広報を担当しました。独立する際に、ネイル技術を学び、日本初のまつげパーマと同時にネイルを施術するサロンを友人と主宰しました。

    アートコーディネーター

    1959-1900

    美容の仕事から離れ、ヨーロッパに5か月滞在後、知人の薦めでアートコーディネーターへ。銀座柳画廊と「伊東育三郎展」を企画。

     

    また、シカゴ日米協会、ワシントン・スミソニアン、ニューヨーク日米婦人会にて日本美術の講演会を企画・運営しました。

    WHITE DOOR海外ウエディングの

    マーケティング

    1959-1900

    友人の会社で海外ウエディングのマーケティングと営業を担当しました。

    一番きつかったのは、お嬢様のクレーム対応でした。

    2002年10月 目黒区議会議員補欠選挙

    初当選/民主党公認

    1959-1900

    *知人を通じて民主党都議会議員(当時)の青木英二氏から補欠選挙に出馬要請があり、「生まれ育った目黒に尽くそう」と立候補。

     

    *あぐらスタイルのポスターが話題を呼びました。

    2003年4月 目黒区議会議員選挙

    2期目当選/民主党公認3位

    1959-1900

    2004年3月に薬師寺区長(2期)が自ら命を絶ち、契約課長が逮捕される衝撃的な事件がありました。翌4月の区長選挙で青木英二氏が新目黒区長となりました。

    2005年5月 目黒区監査委員を通算4年間務める

    1959-1900

    目黒区が1年間に支出する約1350億円のお金の流れをチャックする他、財政援助団体の監査、保育園・学校・図書館等、目黒区の殆どの施設を現地監査しました。

    財政と税制度、地方自治を学んだ4年間は議員として社会人として大きな財産になりました。

    2007年4月 目黒区議会議員選挙

    3期目当選/民主党公認8位

    1959-1900

    06年秋に目黒区議会議員の政務調査費問題がマスコミに大々的に報道され、公明党区議6人全員が突然辞職する等「目黒ショック」と言われ、どう説明責任を果たし改革するかで奔走しました。

     

    3期目の4年間の内、目黒区監査委員を2年間務めました。

    2009年5月 第67代目黒区議会副議長

    1959-1900

    副議長選挙は投票総数36票、有効投票31票中、鴨志田が14票で当選し、次点は12票と前代未聞の混戦でした。

    2011年4月 目黒区議会議員選挙

    4期目当選/民主党公認10位

    1959-1900

    民主党は14名の候補者を出しましたが、当選は5名に留まり大敗に近い結果でした。

     

    この区議選に目黒区在住の蓮舫参議院議員の夫・村田氏が立候補し話題になりましたが、村田氏は落選。

    2013年6月 東京都議会選挙立候補

    惜敗/みどりの風公認

    1959-1900

    東京23区と政策も財政も密接な都政を変えよう!「挑戦なくして成長なし」「今こそ女子の出番」と立候補。憲政史上初の女性が設立した政党みどりの風で戦いましたが落選。

     

    その後、会社を設立し、不動産案件が多かったことから不動産三田会(慶應卒の会)に入会。

    2014年9月 根室市長選挙立候補

    惜敗/無所属

    1959-1900

    『根室市長選挙は過去2回とも現市長が無投票当選。街は衰退し、人口減少・人口流出が止まらない。東京での政治経験を根室で生かし変えて欲しい。』との市民団体の要請で覚悟と使命感を持って立候補。

     

    根室市は資源(水産業)も自然も人間も豊か、しかし、政治が必要な所に政治が機能せず、民主主義が無いために街が衰退してゆくのを市民は「しょうがない」と傍観する、地方都市が衰退する典型でした。

     

    鴨志田の立候補で現市長は初めて街頭演説を行い、市民の声に耳を傾けるようになりました。

     

    投票率は上がり、鴨志田は4割の票を頂きました。

    選挙は孤独な戦いでしたが、美しい自然に癒され、人情に触れ、人間として政治家として貴重な経験をしました。

    「根室という美しきまちの民主主義を求めた旅だった」

    が、今の感想です。

    2015年4月 目黒区議会議員選挙

    5期目当選/無所属7位

    1959-1900

    区議としてこれまでの経験を生かすべきと多くの声援を頂き、無所属で立候補し、女性のエールが最も多かったのがこの区議選でした。

    4回の目黒区議選で2/3の議員が交代し世代交代が進みましたが、現職の落選は選挙の厳しさを物語っています。

     

    目黒区議会議員は36人中、女性が15人(内新人6名)当選し、女性議員比率は東京23区でトップの41.6%と女性の活躍の場が広がりました。

    2015年5月 鴨志田の議会控室

    1959-1900

    地方自治・地方議員は国政政党の政策に左右されず、住民目線で政策をと、無所属・無会派で議会活動をしています。

    2016年7月 東京都知事選挙は

    小池百合子氏を応援

    1959-1900

    無所属の立場で「小池百合子さんを応援する超党派有志の会」に参加し、選挙戦を通じて多くを学びネットワークがも広がりました。

    政党に守られた男性候補二人を尻目に、小池氏が圧勝しました。